ゴミ屑リーマンキョンが誕生するまで~大学黄金時代編~
こんにちは、ゴミ屑リーマンのキョンです。今回は前回の~大学初期編~の続編、~大学黄金時代編~です。
前作を見ていない方はこちらから。
【目次】
【令と大介との出会い】
令と出会ったのは大学の入学式の1週間前、入学手続きの日だった。大きなホールで全体説明を受けていた際、たまたま僕の隣に座っていた。
令は顔に似合わず髪は茶色、ピアスまで付けていた。一瞬こいつはヤンキーか?なんて思ったりもしたが、すぐにそれが大学デビューであることがわかった。
話してみると結構面白いやつで、好きなアニメの話なんかで盛り上がり、すぐに仲良くなった。
大介と出会ったのはそれからすぐのこと。大介は令と同じゼミのメンバーだった。彼は僕と同じ喫煙者だった。
毎回講義が終わるとすぐに2人で喫煙所に向かい、煙草を吸っていた。
彼ともすぐに仲良くなり、気が付けば僕と令、大介の3人で行動することが日常となっていた。
【並び打ち】
大学最初の夏休みも終わった9月の中旬、夏休み後初の講義は学科全体のガイダンスから始まる。
大きな講義室のドアを開けると、すでにほとんどの生徒が集まっていた。ざっと150人くらいだろうか?
皆、楽し気に夏休みの思い出を語り合っていた。夏休み中に付き合い始めたのだろうか?2人仲良く隣同士でイチャイチャしている男女もいる。少しイラっとした。
ふと、カスミちゃんに振られた日の記憶が蘇る。あの日からもう2ヵ月経つのか。
そんな中、僕は令と大介をすぐに見つけた。列の最後尾、講義室の入り口から1番近いテーブル。このテーブルを確保することが僕らのデフォルトだった。
理由は2つ。寝てもばれないのと、すぐに喫煙所に行けるから。
基本的に僕ら3人はやる気がなかった。授業中も寝るかスマホをいじるか抜け出して喫煙所に行くか、このどれかだ。
比較的まじめな生徒が多い学科だったので、僕ら3人は完全に浮いていた。
いつも通り、列の最後尾で他愛もない会話が始まる。ただ、そんな他愛もない会話の中、いつもと違うことが1つだけあった。
そう、令がスロットを覚えたということだった。僕は嬉しさのあまり、「マジで!?」と思わず大きな声を上げてしまった。周りの生徒たちから冷ややかな視線が向けられる。
僕がスロッターであることは、令と大介には公言していた。だか人にわざわざ勧めるようなものでもないので、彼らを巻き込むようなことはしてこなかった。
令が自ら始めたというのならもう行くしかない、この時、僕は興奮していた。
5限が終わった午後5時、僕はさっそく令とスロットを打ちに行くことになった。大介はというと、彼も渋々ついてきた。
大学の近くにはほとんどホールが無かったので、僕ら3人は電車に乗り、比較的ホールが多い池袋駅へと向かった。
お金が無かったということもあり、あらかじめP-worldで調べておいた池袋の〇園へ行くことに。ここは5円スロットの設置台数が豊富だった。
〇園に入ると、せっかくだし3人で並び打ちしようということになった。
この時3人で何を打っていたのかは覚えていないが、結果は令が勝ち、僕と大介が負けた、ということは覚えている。
時刻も気付けば午後9時。3時間ほど並び打ちをした後、そろそろ出ようということになり、僕ら3人は近くのファミリーレストランへ。
正直勝ち負けなんかどうでもよかった。そんなことより、大学の友人と並び打ちできたこと、新たにスロット仲間ができたことに対する喜びの方が遥かに大きかった。
この日から、僕ら3人のスロライフが始まった。講義が終わると毎回、3人で池袋の〇園へ向かう。
ホールに入った後は基本的にバラバラ。それぞれが好きな台を打ち、切りのいいところで落ち合う。
ホールを出た後はいつも通り3人で夕飯を食べながら反省会や自慢大会。
僕はホールを出た後のこの時間が地味に好きだった。そんな生活が1年くらい続いた。
【1年後】
時は流れ、大学2年の6月。世間では、大学2年が1番楽しくて、1番遊べるなんて聞いたりするが、僕には無縁だ。
サークルも辞め、学科やゼミの活動には消極的、彼女はおろか、女友達すらいなかった。
1年前と変わらず、僕はスロットを打っていた。もはや僕には令と大介、そしてスロットしかなかった。
スロットに関してはというと、1年前に比べてかなり知識が付いたと思う。
機種ごとの解析、各店のイベント日、設定配分の傾向など、この頃には勝つということに関して意識することが多くなっていた。
【6月6日】
6月6日とは、普通に暮らしている人にとっては何でもない日常だが、僕たちスロッターにとっては自分の誕生日よりも大事な1日だ。
何が大事なのかは言わなくてもわかるだろう。
僕は講義を受けながら、狙うホールを考えていた。
6の付く日がイベント日の店はほとんど把握していたが、問題は僕と令と大介が3人とも打てるかどうか?ということだった。
抽選人数1000人規模の大型店に行ったとこで、誰か1人が炙れることは明白だ。下手したら全員炙れるかもしれない。
1年に1度の大事な日なので、とにかく3人とも確実に打てる状況を作りたかった。
結局、僕が選んだホールは、千葉県にあるとあるホールだった。ここは過去何年か6月6日に店内半5、6をやった実績がある。
入場方法は抽選でなく、並び順だったので、長時間の並びさえ耐えられれば、高確率で高設定を打てる、というものだった。
僕はどうせ行くなら中途半端なことはしたくなかったので、徹夜で並ぶことを覚悟していた。
2人に徹夜できるかどうか確認したところ、2人とも躊躇うこともなく、首を縦に振った。
決まりだ。6月6日まであと1週間、僕は運動会を待ち遠しく思う、小学生のようだった。
6月5日、今日はたまたま授業が2限までだったので、午後2時頃には家に着いた。
明日のことを考えて、5時間ほど仮眠を取った。
気付けば時刻は午後6時30分。外を見ると、すでに薄暗かった。少し寝過ぎたみたいだ。
集合時間まであと1時間半しかない。
だが、幸いにも今回行くホールは、僕の家から電車で20分くらいのところにあった。
最低限の荷物を持ち、家を出る。母親には「どこに行くの?」と聞かれたが、「友達の家に泊まりに行く。」と嘘をついた。
駅に着くと大介がいた。令はいつも通り5分ほど遅れて到着。3人で駅から歩きでホールへと向かう。
ホールに着くと、驚くべき光景が広がっていた。そう、既に人が並んでいたのだ。ざっと20人くらいだろうか。この時まだ時刻は午後8時だった。
僕の考えが甘かったのか?そんなことを考えながら列の最後尾に並ぶ。
当時のメイン機種だった、バジリスク~甲賀忍法帖~Ⅱや北斗の拳 転生の章はもしかしたら先に抑えられてしまうかもしれない。そんなことを3人で話していた。
徹夜で並ぶのは僕ら3人にとって初めての経験だった。並び始めてから4時間、時刻は深夜0時。
長い、長過ぎる…。開店まであと10時間もある…。
だんだんおしりが痛くなってきたので、僕は近くのコンビニから大きな段ボールをもらってきた。男3人、川の字になって段ボールの上に寝た。
蚊が鬱陶しかったのと、興奮でアドレナリンが出ていたせいか、寝たり起きたりを繰り返していた。
気が付くと時刻は朝の9時を迎え、辺りはすっかりと明るくなっていた。
僕は冷たい缶コーヒーを流し込み、煙草に火をつける。開店まであと1時間だ。
朝になるまで気が付かなかったが、僕らの後ろには長蛇の列ができていた。ざっと300人くらいだろうか?
それだけみんな信頼しているホールということだ。一気に3人の期待が高まった。
時刻は9時55分。開店まであと5分だ。
開店までのこの5分間は、今までの5分の中で1番長く感じた5分間だったと思う。
そしてついに入場の時。前の人たちがメインコーナーに向かっていくのが見えた。この日の僕の狙い台は、パチスロマクロスフロンティアだった。
理由は単純。好きな台の高設定を打ちたかったからだ。
このパチスロマクロスフロンティアはバラエティーコーナーの1番奥、入り口から1番遠い場所に1台だけ設置されていた。
入り口で店員から台確保券をもらうと僕は一気に加速した。この中で50m走5.9秒、俊足の僕に勝てる奴はいないだろう。
店員の制止を振り切り、誰もいない通路を全速力で駆け抜けた。バラエティーコーナーに辿り着くと、そこには誰もおらず、僕が1番乗りだった。
無事、狙い台のパチスロマクロスフロンティアを確保。残りの2人はというと、無事、北斗の拳 転生の章 を確保していた。
5分も経たないうちに店内全てのスロットが満席になった。異様な空気だ。1枚目の福沢諭吉をサンドにぶち込み、待ちに待った6月6日が始まった。
【ボロ負け】
開店から2時間、3枚目の福沢諭吉を投入。中々当たらない。少し焦りが出てきていたが、まだまだいける、そう思っていた。
開店から約5時間たった午後3時、僕の追加投資は止まらなかった。これで7枚目。この時はすでに焦りを通り越し、福沢諭吉がただの紙切れにしか見えていなかった。
この時すでにフリーズでも引かない限り、勝てないことはわかっていた。しかし、6月6日という今日、そうそう簡単に台を捨てることができなかった。
結論から言うと、僕の台に設定は入っていなかったと思う。約4000回転回し、ARTの初当たりはたったの4回、ほかに良い要素もなかった。
周囲を見渡してもドル箱を使っている人はほとんどおらず、バラエティーコーナーは全滅だった。
ホールを徘徊していると、やはりメインコーナーが当たりだったのか、令と大介がいる北斗のコーナーや、バジリスクのコーナーは、みんなドル箱を使っている。
僕は自分の台に戻り、 8枚目の福沢諭吉を入れようと財布を開けたが、もうそこに彼はいなかった。
令と大介の制止も入り、僕は泣く泣く台を離れた。
こんなはずじゃなかった。今日は3人でボロ勝ちして、焼き肉でも食べに行こうかと思っていたのに。まさに捕らぬ狸の皮算用だ。
その後、僕は令と大介を待つため休憩室にいた。疲れが出てきたのと、ソファが気持ちよかったせいか、少し眠ってしまっていた。
時刻は午後7時過ぎ、当たり台とはずれ台の差は歴然としていた。どちらかというと、はずれ台の方が多かったと思う。
半5、6どころか4分の1も入っていなかったのではないだろうか?期待とは裏腹に、店全体の結果は悲惨なものだった。
ちなみに僕が止めたマクロスフロンティアはその後、一撃5000枚の出玉を放っていた。
1日で7万も負けたのはこの日が初めてだった。7万というと、当時の僕の1ヵ月分のアルバイト代。学生にしては大き過ぎる額だった。まさにボロ負けだ。
令と大介の稼働も終了し、疲れた体で3人、ホールを背に駅へと歩き始めた。
ちなみに、この日負けたのは僕だけだった。令と大介はしっかりと勝っていた。帰り道、明らかに不機嫌な顔の僕に、2人も戸惑っていたかもしれない。
あの6月6日の出来事がよっぽど悔しかったのか、僕は以前にも増して勝ちにこだわるようになっていた。
【開店プロ】
時は流れて大学3年の冬、同級生達は就活モードでピリピリし始める中、この頃になると僕は、グランドオープンする店ばかりを狙う、開店プロみたいなことをしていた。
グランドオープン1週間前くらいから始まる新規会員登録に並び、当日の優先入場券をもらう、といったものだ。
覚えているだけでざっと30店舗くらいだろうか?1人でやることもあったし、令と大介を連れてやることもあった。
電車で片道1時間半くらいのエリアであれば躊躇なく行く。この時の僕は、かなりフットワークが軽かった。
それだけグランドオープン期間というのは設定状況が甘く、この時はとにかく勝っていた。金額にして100万円くらいだったと思う。
もちろん日単位では負けるごともあったが、店舗数をこなしていくうちに、グループ店ごとの傾向、設定が入りやすい場所など、なんとなく分かるようになっていた。
そして徐々に勝率も上がり、月単位で負けることはなくなっていた。僕は自分のことを自称開店プロと呼んでいた。
こんなことばかりやっている最中、僕はたまーに我に返ることがあった。
一緒に並んでいる人達を見渡すと、自分と1周りくらい違うおじさん達、もしくはこれで食っているような風貌の人たちばかりだ。
自分と同い年くらいの人間を探しても、あまりいなかった。少なくとも、自分の通っている大学でこんなことやっているのは、僕くらいしかいなかったと思う。
ホールからの帰り道、駅で電車を待っていると、前に並んでいるリクルート姿のグループ数名が、就活の話をしている。
「今日の面接楽勝だったな。」
そういえば、自分も就活生であったことを忘れていた。
この時僕は、すでに戻れない所まで来ていた。なんせ人生で1番自由な大学生活の4分の3をスロットに捧げたのだから。
今更戻ることなんてできない。そもそも戻る場所すらなかった。
そんな僕は、スロットで勝ち続けることで、ぎりぎりアイデンティティを保っていた。
僕は他の生徒より金がある。ソープにも行けるし、いい時計も買える。それだけが唯一の救いだった。
そうでもしないと、大学生活を棒に振った罪悪感で気がおかしくなりそうだったから。
【就活】
就活もピークを迎えた大学4年の夏、以前のように令と大介の3人でスロットを打ちに行くことは、ほとんど無くなっていた。
みんな次の進路を決めなければならない。それぞれのことで精一杯だった。
僕はというと、意外にもあっさりと就活を終えていた。親族のコネを使い、大手メーカーの内定を得たのだった。
自分でも少し就活をしてみたが、面接で「学生生活で1番頑張ったことは何ですか?」と聞かれて僕は、「スロットです。」と答えることしかできなかった。
まともな奴であれば何とか取り繕って答えるだろうが、僕は本当に4年間スロットを打っていた記憶しかなく、「スロットです。」と答えることしかできなかった。
自分で受けた会社の面接は全滅だった。
就活に関して、親には本当に感謝している。親がいなければ僕は就活が終わらないまま大学を卒業していたと思う。
【卒業】
就活が終わった後は、卒業に向けて残りの単位を全て取得しないといけないため、週4回大学に通っていた。
こんなことをやっていたのは恐らく僕くらいだったと思う。周りの4年生はほとんど既定の単位を取得し終わり、学校に来るのは週1回のゼミのみだった。
大学へ行っても知っている人は誰1人いない。1人、食堂で飯を食べ、休み時間は廊下のベンチで寝る、2つも下の2年生と一緒に中国語の授業を受ける、そんな日々が続いた。
就活が終わったにも関わらず、この時期が1番寂しくて退屈だったと思う。
講義中、両隣を見渡してもそこに令と大介の姿はなかった。3人で池袋の〇園に通ってた2年前のことを懐かし気に思い出す。
あの楽しかった日々はもう戻ってこない。これからは社会に出て、何十年も働き続けなければならない。
僕は何とか全ての単位を取得し、気が付けば、大学の卒業式も終わっていた。卒業式の後はゼミの飲み会があり、令と大介とあまり話す時間がなかった。
正門の前で写真だけ撮った。正直この大学には何の思い入れもない。どうせ写真を撮るなら、パチンコ屋をバックにした方がよかったのではないだろうか?
そんなことを思いながら僕は2人に別れを告げた。これが最後だろう。僕は4年間世話になった大学と令、大介に背を向け、歩き始めた。
大学を卒業し、社会人まで残り1週間となった3月下旬、僕は残り少ない春休みを家で過ごしていた。
正直、これから始まる社会人に対し、あまり夢とか希望は抱いていなかった。
スロットを打つ時間はあるのだろうか?など、考えるのはそんなくだらないことばかりだ。大学時代が懐かしく思えてくる。
ただ1つわかっていたことは、あの楽しかった日々がこの先来ることは無い、ということだった。
みんなバラバラになり、それぞれの道を歩まなきゃいけないのだから。
そういえばさっき携帯のフォルダを整理していたら、懐かしい写真がたくさん出てきた。少しだけみんなにも見せようと思う。