ゴミ屑リーマンキョンが誕生するまで~小学生編~

 

こんにちは。ゴミ屑リーマンのキョンです。今回は「ゴミ屑リーマンが誕生するまで~小学生編~」ということで、ゴミ屑リーマンキョンが、まだ可愛かった小学生の頃の思い出を、物語風に書いていきたいと思います。

 

【目次】

 

 

 

【当時の僕】

 僕はどこにでもいる、いわゆる普通の男の子だった。平日は学校へ行き、授業が終わると部活動のサッカーが始まる。夕方までひたすらボールを蹴ってくたくたになりながら家に帰る。

 

週に1回のスイミングクラブと、ピアノレッスン、土日の午前は別のサッカークラブの練習。どちらかといえば忙しかったのかもしれない。

 

正直どれも自分からやりたいと言った覚えはなく、やらされている感の方が強かった。兄弟がやっているから、とかそんな理由でなんとなく始まったものだと思う。

 

僕はあまり自分から意思表示をして何かを選択するような子どもではなかった。

 

そんな中でも僕には唯一楽しいものがあった。そう、メダルゲームだ。家の近くに大きなイオンがあり、その中にゲームセンターがあった。

 

土曜午前のサッカーが終わると僕は全速力で家に帰り、昼ご飯を掻き込むように食べた。

 

その後、すぐにシャワーを浴びて友人の拓磨と待ち合わせをし、2人でいつものイオンに向かう。これが僕と拓磨の土曜午後のルーティーンだった。

 

【アミー魚との出会い】

 僕がメダルゲームにはまり始めた2006年頃、当時、特に人気があったのがフォーチュンオーブ、スターホースなどだった。その中でも僕と拓磨が特に夢中になっていたのがこれ。

 

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   アミー魚だ。僕と同世代の人は恐らく見たことがあると思う。メダルを入れて網を飛ばし、魚を捕獲する。

 

捕獲量が100kgに達すると、パールチャレンジというパールを獲得するゲームに突入。

 

このパールが10個貯まるとJPチャレンジに挑戦できるという至ってシンプルなゲーム内容だ。

 

いつも通り僕と拓磨は作業のように淡々と魚を捕獲していく。当時メダルは1000円で200枚。

 

小学生にとって1000円とはかなり大きい。1ヵ月分の生活費のようなものだ。

 

なるべくメダルを無駄にしないようにしながらなんとか捕獲量は100kgに到達し、パールチャレンジへ。

 

パールチャレンジは僕の得意分野だった。目の前でシャッフルされる5つの貝の中から1つ選び、ゲットできるというもの。

 

貝の中にはパールだけでなく、ハズレが入っている場合もあるので注意しなければならない。

 

動体視力が良い僕にとって、このパールチャレンジは本当にヌルゲーだった。いつも通り間違うことなくパールが入った貝を選択。

 

拓磨は僕を信用しきっているせいか、ジュースを買ってちょうど戻ってきたとこだった。

 

こんなことを繰り返し、気が付けばパールは10個へ。目の前の大きなスクリーンが次のステージへと進んだ。

 

次のステージはJPチャンスだ。6つの入賞口が回転し、そこへボールが投入される。

 

入賞口はメダル100枚、150枚、EXの計3種類。見事EXの入賞口にボールが入れば、本機最大のチャンスゾーンである、EXJPチャンスが確定。

 

入賞口の振り分けも色々あり、EXJPの入賞口の数もその時によって違う。今回の振り分けは割と珍しく、EXJPの入賞口が3つ。

 

50%の確率でEXJPチャンスだ。僕と拓磨は思わずガッツポーズをした。

 

ゆっくりと回る入賞口へボールが投入されると、僕と拓磨はスクリーンをジッと見つめた。やれるのか?やれるのか?

 

 見事ボールはEXJPの入賞口に入り、とうとう本機最大のチャンスゾーン、EXJPチャンスに突入した。

 

目の前のスクリーンがゆっくりと竜宮城に変わっていく。

 

【 天国と地獄】

 EXJPにも様々な種類があり、獲得枚数の期待値も全然違う。その中でも僕らが目指していた「天国と地獄」というEXJP。

 

どんなものか簡単に言うと、獲得枚数の振り分けが、50枚、100枚、1000枚、2000枚の4種類のみだ。まさに天国と地獄である。

 

当時、小学生の僕たちにとってはかなり射幸性の高いものだった。

 

EXJPの種類を決める画面で「天国と地獄」が選ばれると、僕と拓磨は思わず見つめあった。これはそうそう選ばれるゲームではない。周囲の人たちも固唾を飲む。

 

大きなスクリーンにゆっくりとボールが放り込まれる。拓磨は気が気じゃないのか、両手を合わせて何かを唱えていた。

 

このEXJPはとても長く感じた。まるで本当に自分が竜宮城の中にいたかのように。

 

 

気が付くと、目の前の画面にはCALL STAFF 2000枚 という文字が表示されていた。

 

そう、ついにやったのだ。僕と拓磨は大きな歓声を上げ、お互い手を取る。

 

画面には「店員を呼んでください」と表示されていたので、僕は大急ぎで店員を呼んだ。しばらくするとその店員が大きな千両箱を持って戻ってきた。

 

そこには僕と拓磨が獲得した2000枚のメダルが入っていた。周囲の人の羨ましそうな視線、まるで自分たちが王様になったような気分だった。

 

 

あまりに興奮し過ぎたせいか、僕と拓磨は少し疲れていた。共有のメダルバンクに2000枚のメダルを預け、いつもよりちょっと早く、2人で帰宅。

 

ちょうど近くの銭湯が小学生無料の日だったので、僕と拓磨は湯船で疲れを取りながら、今日の出来事を2人で思い返していた。

 

その後も僕と拓磨は味を占めたかのように、アミー魚をやり続けた。メダルは日に日に減っていったが、この時はとにかく楽しかった。

 

授業中も部活動中も考えるのはアミー魚のことばかり。僕は毎週土曜の午後だけを楽しみに生きていた。

 

【卒業】

  小学校も卒業が迫った2006年の2月頃、気が付くとメダルは全て消えていた。そして、この頃から拓磨は学校に来なくなった。

 

後から知ったことだが、拓磨は適応障害のような病気に陥っていた。

 

卒業式当日も拓磨は学校に来ず、僕は寂しかった。そして拓磨との思い出を胸にしまい、小学校を卒業した。

 

 

 

今思うと、僕は当時からギャンブルに対する潜在的な何かを持っていたと思う。

 

天国と地獄を制した時、間違いなく僕の脳内には大量のドーパミンが分泌していた。

 

当時、あの感覚は、サッカーをしていても、泳いでいても、ピアノを弾いていても、すぐに思い出すことができた。

 

この時すでに僕はギャンブル依存症予備軍の中にいたと思う。

 

そんなことも知らずに僕の小学校生活は終わりを迎えた。この先訪れる本当の地獄を知らないまま。